映画『メッセージ』と、言葉、詩、物語

映画の内容・テーマにがっつり踏み込んでいますのでご注意ください。それ以外で言えることはメガネのレナーさんがめちゃんこかわいいということくらいです。


"We spend our entire lives trying to tell stories about ourselves [...]. It is how we make living in this unfeeling, accidental universe tolerable." -- Ken Liu, from "Preface" in The Paper Menegerie And Other Stories

「私たちは人生のすべてを費やして自分たちの物語を語る(中略)。そうやって私たちはこの無情で予期できない世界で生きることを受け入れるんだ。」ケン・リュウ『紙の動物園とその他の物語』「序文」より

テッド・チャンの原作「あなたの人生の物語」をまだ読めていないので、ほんとはきちんと読んでから考察したいところだけど、シンプルに言って映画『メッセージ』がやっていることというのはつまりケン・リュウの上記の言葉に集約されていると思う。限界と不可能と喪失から逃れられない無力な人生というものを肯定するのにわたしたちはいつだって物語の力を必要としている。


内容を細かく精査して論じるほどの知識も洞察力もわたしにはないし、SFに明るい方による素晴らしい考察がきっといろいろなところで読めると思うので、ここではあくまで映画だけを見てわたしが連想したもの、感じたことをつらつらまとめてみる。そこでまず紹介しておきたいのがこの詩だ。

Carol Ann Duffy, 'Words, Wide Night'

Somewhere on the other side of this wide night
and the distance between us, I am thinking of you.
The room is turning slowly away from the moon.

This is pleasurable. Or shall I cross that out and say
it is sad? In one of the tenses I singing
an impossible song of desire that you cannot hear.

La lala la. See? I close my eyes and imagine the dark hills I would have to cross
to reach you. For I am in love with you

and this is what it is like or what it is like in words.



キャロル・アン・ダフィ「言葉、広大な夜」

この広大な夜とわたしたちを隔てる距離の
反対側のどこかで、わたしはあなたを思っている。
部屋はゆっくりと回転し、月から離れていく。

楽しいものね。それとも今のは無しにして
悲しいと言ったほうがいい?ある時制の中でわたし歌う
あなたの耳には届かない、不可能な欲望の歌を。

ラ ララ ラ。ほらね?わたしは目を閉じて想像する
あなたの元に行くのに越えなきゃいけない
暗い丘を。だってわたしはあなたに恋をしていて

その思いはこんなかんじ、言葉の上ではこんなかんじのものだから。

(拙訳)
POEM: WORDS, WIDE NIGHT BY CAROL ANN DUFFY

参考:My Favourite Encouraging / Inspiring Poems/勇気をくれる詩3選 - Who's Gonna Save a Little LOVE for Me?


以前にもこの詩をブログで紹介したことがあって、そこで書いたこととまったく同じことをまた書くんだけど、"I singing"という箇所は誤植ではない。英語(を含む多くの言語)は現在時制とか過去時制といった特定の時制の中で("In one of the tenses")話される言語で、ふつうIとsingingの間にamとかwasとかwill beといった語句が入り、話す時点と話される内容の時点の関係が決定される。それは言葉は時制の制約に、過去から現在、未来へと一定に流れ過ぎていく時間の概念に縛られているということを意味する。ダフィはだから時制を取っ払ってしまうことで、時間を、わたしとあなたを分かつ夜を、あるいは言葉がわたしたちに課す限界を超えようと試みている。

今回改めてこの詩を読み返すまで、わたしはこれをいわゆる遠距離恋愛(空間的に離れた二人)の詩だと思っていた。でも、もしかするとこれは時間的に離れた二人の詩かもしれない。すでにこの世にはいない人への、あるいは語り手がこの先出会う未来の想い人へのラブソングかもしれない。過去の人への恋心なら歌えても、まだ知りもしない人への恋心なんておかしい?『メッセージ』を見た後ではもうそんなことは言っていられないと思う。


12体の宇宙船に乗って突然地球に現れたエイリアン、ヘプタポッドの言語には時制がない。劇中紹介されるサピア=ウォーフの仮説によれば、人の世界観とはその人が使用する言語によって形作られるもので、時制のない言葉を用いるヘプタポッドは過去も未来もない円環的な時間認識を持っている。彼らにとっては過去・現在・未来は順序だったものではなく、それらはすべて同居しているから、彼らには未来も見えている。主人公の言語学者ルイーズはこのヘプタポッドの言語を理解することで、時は流れ過ぎ後戻りできないという時間認識を脱却し、過去・現在・未来を同時に見据えるようなヘプタポッド的世界観を獲得する。彼女もまた未来のヴィジョンが見えるようになる。



冒頭、ルイーズは娘を病気で亡くすことが語られる。それからヘプタポッドの出現、彼らの言語を解析するための現地派遣、研究活動が描かれていく。見ているわたしたち(というか少なくともわたし)は娘を亡くしたルイーズがヘプタポッドとの交流を通してどのように希望を見出していくのだろうと考えるわけだけど、次第に明らかになる通り、ルイーズはヘプタポッド出現の時点ではまだ娘を亡くすどころか、その父イアンにすら出会っていない。しかし原作未読でこれといった前情報もなく映画を見て、「娘の死はヘプタポッドとの遭遇以後のことだ」と想定する人はたぶんそんなにいないだろう。そう言えるのは、基本的にわたしたちは過去から未来へと線型を描く時間認識のもとで生きているからだ。わたしたちはルイーズが未来のことを知っているなんて想像しない。わたしたちにとって時間は過去から未来へと順番に流れていくものだから、現在の時点で未来のことはわからない。でも、時間に過去も未来もなかったら?はじまりもおわりもなかったら?死は生の終焉ではないとしたら?


時間は無慈悲に過ぎ去り、愛しいものを奪っていく--とわたしたちは思っている。その時の流れの前では人間は無力で有限なのだと。けれども、時間が流れ過ぎるのではなく円環するものであるなら、世界には過去も未来も、生も死も同居し、別離や喪失も今わたしたちが認識しているものとは異なってくるはずだ。ヘプタポッドの言葉とそれがもたらす新しい世界認識は、残酷な時の流れを超えられない人間の限界に挑戦し、無力に見えた人生を肯定する力になる。

しかしそれは人間を無限で完全な存在にしてくれるわけではなく、むしろあらためてその有限性・不可能性を突きつけてもくる。ルイーズは未来が見えるようになっても、未来を変えたり過去に自由に戻ったりはできない。夫との別離も娘の死も彼女には止められない。彼女が得るのは超人的な能力ではなく、あくまで新しい言葉だけ。でも新しい言葉は世界の見方を変え、これまでと違う人生の物語を編み始める。時間にはじまりもおわりもないなら、死はすべての終焉・永遠の離別ではなく、ルイーズの娘は永遠に生きていて、また同時に死んでいる。どうしたって人間は有限で死を免れない存在だけれど、死はいまわたしたちが思っているほど決定的な意味を持っていないのかもしれない。



ダフィは時制を取り去って自分とあなたを隔てる夜を越えていこうとするが、それは結局あなたの耳には届かない不可能な歌にしかならない。しかしわたしは上の紹介記事でこう書いていた。

言葉は想像力の可能性と希望を示してくれるのに、同時に人間の限界と無力を突きつけてもくる。

しかしそんな言葉の不可能性を指摘することも言葉によってしかなされないし、不可能性を超えようとする試み(これは成功しないのが肝)のなかで、少なくとも言葉にならないものに焦点を当て、ともすれば何か別の可能性の切れ目を見つけることができるやもしれない。いずれにせよ書くことから始めるしかない(略)

自分でも驚くほど、ここで書いていることは『メッセージ』を見て感じたことに当てはまる。無力な人間には言葉しか、物語しかないかもしれない。でも逆を返せば人間にはいつだって物語がある。言葉は万能ではなく、そのあり方は変わっていくけれど、言葉が存在する限り、物語は常にそこにあってわたしたちを救ってくれる。

娘を亡くす母の話自体はこれまでにも繰り返し語られてきた、特に新鮮味のないもの。でも違う言葉で語ったら、それはこれまでとはまるで異なる意味合いを持った新しい物語になる。そして実のところ新しい物語こそ新しい世界を見せてくれるものに他ならない。それは「無情で予期できないこの世界で生きることを受け入れる」助けになる。物語は"人生のガイド"とわたしは定義しているんだけれど、理不尽と敗北に満ちた人生を導いてくれる物語の力にまつわる物語をやっぱりわたしは好きにならずにいられないなあと思う。