My Favourite Encouraging / Inspiring Poems/勇気をくれる詩3選

落ち込んだとき、挫折したとき、自分の存在価値が信じられなくなったとき、読むとよい詩。


Emily Dickinson, 'If I can stop one heart from breaking"


POEM: IF I CAN STOP ONE HEART FROM BREAKING, BY EMILY DICKINSON

祖父はアマースト大学の創始者の一人、父は弁護士というマサチューセッツの名家に生まれながら、18歳のとき信仰告白の拒否をきっかけにマウント・ホリヨーク女学校を退学して以降、生涯の大半を家に引きこもるようにして過ごしたエミリ・ディキンソン。今でこそアメリカの大詩人としての評価を確立しているけれど、生前は約10篇の詩を発表するに留まり、世にほとんど知られることがなかった彼女にこんな詩を書かれたら涙するしかない。

ディキンソンの詩はすべて無題なので、便宜上最初の行がタイトル代わりとされる。"If I can stop one heart from breaking"(「一つの心が壊れるのを止めることができたなら」)--2行目はこう続く。

I shall not live in vain

わたしの人生は無駄にならない

誰かの心を癒し、痛みを和らげられたなら、あるいは気絶したコマドリを巣に帰してあげられたなら、わたしの人生は無駄にならない。誰であれ自分の無力さや自分は何者でもないという事実に打ちのめされ、心折れた経験があると思う。それでも、たった一人でも、誰かを救うことができたなら、あるいはそんな大それたことは言わず、ほんの少しでも痛みや苦しみを取り除き、誰かのために何かを為せたなら、それがわたしの存在意義になる。そんなこの上なくささやかな人生の価値が、たった7行のなかにいくぶん挫折の色を滲ませながらも力強く綴られる。わたしの人生は無意味かもしれない--そんな疑いがなければ、この詩はスタートしない。厳しい現実認識があり、ただ「誰しもが素晴らしい」とか「人を助けることが人生の価値だから皆助け合おう」というような耳に甘い言葉を並べたものではない。だからこの詩を過剰に美化したくはないし、実際ディキンソンの他の詩にはもっと辛辣でシビアなものも多いけれど、優秀で才能豊かな詩人でありながら世に出ず、また生涯未婚だった(当時このことがどういう意味を持ったかは、たとえばこないだ訳したゴブリンを読んでもなんとなくわかるかと思う)彼女が、かといって社会から完全に孤絶せず、どこかの誰かに手を伸ばし、働きかけることの希望を抱いていたことに感動し、勇気づけられる。何もかもダメかも、と思ったときに読んでほしい一篇です。

Samuel Taylor Coleridge, "Kubla Khan"


POEM: KUBLA KHAN BY SAMUEL TAYLOR COLERIDGE

ウィリアム・ワーズワースと並ぶ英ロマン派詩人の代表作の一つで、アヘンの幻覚作用により、クビライ・ハンが造った都ザナドゥの夢を見たコールリッジがその情景を描いた詩。前半部分もおもしろいけれど、何より圧倒されるのは最終連。

A damsel with a dulcimer
In a vision once I saw :
It was an Abyssinian maid,
And on her dulcimer she played,
Singing of Mount Abora.
Could I revive within me
Her symphony and song,
To such a deep delight 'twould win me,
That with music loud and long,
I would build that dome in air,
That sunny dome ! those caves of ice !
And all who heard should see them there,
And all should cry, Beware ! Beware !
His flashing eyes, his floating hair !
Weave a circle round him thrice,
And close your eyes with holy dread,
For he on honey-dew hath fed,
And drunk the milk of Paradise.

かつて見た幻影に現れた
ダルシマーを持った乙女
それはアビシニアの娘だ
彼女はダルシマーを弾き
アボラ山について唄う
その調べと唄を私のうちに
蘇らせることができたなら
私は深い歓びに引き入れられよう
高く、長く響く音楽とともに
私は調べのなかにあの宮殿を打ち建てることができる
あの日を浴びた宮殿を!氷の洞窟を!
聞く者すべての目に浮かぶはずだ
そして彼らはこう叫ぶ 気をつけろ!気をつけろ!
あの閃く瞳、たなびく髪に!
彼の周りに三重の輪を描き
畏怖の念をもって目を閉じろ
なぜなら彼は蜜の滴りを味わい
極楽の乳を飲んだのだから

アビシニアの娘の音楽(≒詩の女神ミューズからのインスピレーション、かな)を再び呼び起こすことができたら、夢に見たザナドゥの荘厳な宮殿をair=旋律=詩のうちに再現できる、とコールリッジは言う。クビライが現実世界の皇帝として都を造営し権力を誇った一方、詩人にはそんな力はないけれど、想像力の世界にならあのクビライの立派な宮殿だって打ち建てることができるんだという詩人の誇りと想像力への信頼がある--ようでいてない、いややっぱりあるような、そんな微妙さがこの詩の肝で、泣けてくるところだと思う。

コールリッジはここで仮定法を使っているから、彼は失われたアビシニアの娘をre-vive(蘇らせる)することはできないと考えていて、詩の力を信じているようで、自分にはその力がないと言っている。この後に続くのは見事な宮殿を描き出した詩人に対する人々の畏怖の言葉なのだけれど、そもそも彼には宮殿を再現することはできないのだから、それは乱暴に言ってしまえばすべて妄想の産物であって、幻から覚めた詩人には無力な現実が残る。ディキンソンの詩と同じように、やっぱりクーブラ・カーンのスタート地点にも挫折や喪失感がある。

けれども読者からすれば、詩の前半でコールリッジはザナドゥの情景を見事に唄いあげているじゃないかと思う。自分にはもうミューズは降りてこないのではないか、楽園を夢見るばかりで現実で何かを成せていないのではないか、そんな不安や焦燥に絡めとられながら、それでも彼がもがき吐き出す言葉にはちゃんと魔法が宿っている。それがこの詩の何よりの希望。想像力への信頼と不信が不思議に同居する詩なので、自分の言葉や創作に自信がなくなったとき、行き詰まったときに読むと刺さります。

Carol Ann Duffy, 'Words, Wide Night"


POEM: WORDS, WIDE NIGHT BY CAROL ANN DUFFY

女性として、またLGBTであることを公言した人物として初めて桂冠詩人になったキャロル・アン・ダフィのこの詩は、wordsとwideで頭韻を、wideとnightで母音韻を踏むシンプルで美しい響きのタイトルからもう完璧。先に紹介した2篇と共通しているのは、この詩も疑いや不信に端を発しながら、それでも--と詩に向き合う姿勢があることで、わたしが共感し勇気を与えられるのは、そういうふうに挫けながらも書くことをやめない、言葉をめぐる格闘なのだと思う。

遠く離れた地の恋人を思う恋愛詩。二人を隔てる距離はどんなに言葉を尽くしても埋まらない。言葉は無力なのかもしれない。「言葉」と「広い夜」を並べたタイトルは覆りようのない絶対的な夜=距離に対して、言葉の心許なさを表している。

[...] In one of the tenses I singing
an impossible song of desire that you cannot hear.

La lala la. See? I close my eyes and imagine the dark hills I would have to cross
to reach you. For I am in love with you
and this is what it is like or what it is like in words.

[...] ある時制のなかでわたしは歌う
あなたには聞こえない、欲望のかなわぬ歌を

ラ ララ ラ。ほらね?わたしは目を閉じて
あなたのもとに辿り着くために超えなきゃいけない暗い山々を
想像する だってわたしはあなたに恋しているし
その恋心はこういうもの、言葉にすれば、こういうものだから

"I singing"と書いたのは誤植ではなく。ふつう英語はamとかwasとかwill beといった語句を伴って特定の時制の中で話されるけれど、それは言葉が時制という一つのルールの内に限定されていることを意味している。ダフィは時制を取っ払ってしまうことで、たぶんその限界を超えようとしている。それでも結局彼女の歌はimpossibleで、恋人の耳には届かず、ラララ...と中空に消えていってしまうのだけれど。

最終行、「わたしのあなたへの恋心は言葉にすればこんなかんじ」と締め括る詩人の心境にはいささか諦念もこもっている。思いをしたためた言葉は当然言葉以上のものにはならず、時制に限らずいろんなものに縛られているからわたしとあなたを分かつ夜を越えられない。でもそんな言葉の不可能性を指摘することも言葉によってしかなされないし、不可能性を超えようとする試み(これは成功しないのが肝)のなかで、少なくとも言葉にならないものに焦点を当て、ともすれば何か別の可能性の切れ目を見つけることができるやもしれない。いずれにせよ書くことから始めるしかないという詩人が詩を書く理由がこの簡潔な恋愛詩には完璧に提示されているから好きだ。他者との埋まらない距離にもどかしさを感じたときは、ぜひこの詩を。



書いているうちに自分が詩に求めているものは何か、なぜ詩を読むかを問答し始めてしまった。わたしが求めるのは、ここで書いたように負けから始まる詩。だって20年くらい生きいると、人生最初から負けてるって思えてきますよね?(そんなことない?)

言葉は想像力の可能性と希望を示してくれるのに、同時に人間の限界と無力を突きつけてもくる。その矛盾に悶えながら、それでも何かを言わずにはいられないからと言葉を吐き出す詩人の格闘をわたしは読みたいし、一度書くことを諦めてしまった人間にはとかく刺さりまくる。簡単な紹介文なのでいささか主観的で見落としてる点も多いだろうけど、英詩への接点の拡大を少しでもできたら嬉しいなと思う。まあ完全に趣味の文章だけど。おわり。