「新しい失敗」こそ進歩の証/"Try Everything"を助動詞にこだわってネチネチ読んでみる

タイトル通りの内容です。一つの歌詞をネチネチ読み込むという完全に趣味の投稿になりますが、昨年ツイッターでちまちま書いていたことをまとめたものになるので、よかったら読んでみてください。なぜ今頃こんな記事を書くかというと、単純に自分の気分がのっているからというだけです。わたしのブログは基本そんなスタンス。

「トライ・エブリシング」


Oh Oh Oh Oh Oh...


今夜もダメだった、また戦いに負けた
未だに失敗するけど、そしたらやり直すだけ
また落っこちて、地面にぶつかり続けるけど
いつだって起き上がって次は何がくるか見てる

鳥はただ飛んでるんじゃない、落っこちては浮上してる
間違わずに学ぶ人なんていない

わたしは諦めない、降参したりしない
終わりに辿り着くまで そしてまたそこから始めるんだ
わたしは逃げない、なんだってトライしたい
失敗するとしてもトライしたい


Oh Oh Oh Oh Oh
すべてにトライしよう
Oh Oh Oh Oh Oh
あらゆることに


自分がどれだけ遠くに来たか見てみて 心は愛でいっぱい
あなたは十分やった 深呼吸して
自分を責めないで そんなに早く走らなくていい
時には最下位になるけど、わたしたち最善を尽くしたじゃない

わたしは諦めない、降参したりしない
終わりに辿り着くまで そしてまたそこから始めるんだ
わたしは逃げない、なんだってトライしたい
失敗するとしてもトライしたい


こういう新しい失敗をわたしはおかし続ける
毎日のようにおかす
こういう新しい失敗を


Oh Oh Oh Oh Oh
すべてにトライしよう
Oh Oh Oh Oh Oh
あらゆることに
Oh Oh Oh Oh Oh
すべてにトライしよう
Oh Oh Oh Oh Oh
あらゆることに



Shakira - Try Everything (Official Video) - YouTube


例えば和歌の字余りが、秩序だった五七五七七の形式から逸脱する思いを表すように、些細な修辞の下に深く大きな意味をたずさえられる点が詩の魅力だとわたしは捉えているんだけれど、この"Try Everything"にもそんなちょっとした言葉の技巧をマイクロスコープにして、そこから大きな詩世界が広がっていくおもしろさがあると思う。

一読すると、底抜けなポジティビティに満ち溢れた頑張るわたしへの応援歌にも聞こえるこの歌詞。しかし「多様な生物が生き、多様な意見や利害が入り乱れる社会では絶対の正解はないから、時に傷つき、傷つけるとしてもより良い世界を模索し続けよう」と言ったズートピアを見終わったあとでは、これが闇雲なオプティミズムや諦めないことの美徳を盲目的に礼賛しているのではなく、むしろ失敗と反省を前提にそれでも歩みをやめない覚悟を背景に持っているとわかる。そんな覚悟を歌詞のなかで特に感じる箇所があって、それがこの部分。

I'll keep on making those new mistakes.
I'll keep on making them every day.
Those new mistakes.

こういう新しい失敗をわたしはおかし続ける
毎日のようにおかす
こういう新しい失敗を

ここで"I might keep"でも"I could keep"でも"I would keep"でもなく、"I'll keep"と助動詞willを使っている、ただこの一点に着目してすごいなあと思う。たとえばmightなら「失敗し続けるかもしれない」、couldなら「失敗し続けうる」といった意味になり、歌い手が失敗を重ね続ける可能性は50/50*1。あるいはwillの過去形wouldが使われた場合は、現実から一線を置いた遠回しな表現になり、"I would keep on~ mistakes"の背後に"if I keep(kept) trying"のような仮定の意味合いが仄めかされる。そのため「仮にわたしがトライし続けるなら、何度も失敗をおかすだろう」という具合に「トライし続けること」の時点で仮定の話として留保される。

一方、willは「今この場では現実になっていない、あるいは話者からは認識できないけれど、ある時点、ある場で必ず現実になる」くらいの意味を持った、might/could/wouldに比べると実現の可能性がかなり強い推量の助動詞。たとえば"She'll turn 20 this August."(彼女はこの8月で20歳になる)は今後確実に現実になる未来の話だし、現在の話でも"He'll be attending a meeting now. He told me so yesterday."(彼は今頃会議に出ているはず。昨日そう言ってたから。)というように、話者が実際に目にしたわけではないけれど聞いた話などから現実にそうなっていると考えられることもwillを使って表現できる。ということを踏まえると、"I'll keep on making those new mistakes"と言ったとき、歌い手は自分が失敗し続けるのは間違いない、きっと現実になることなんだと宣言したと言える。

一見、これは「ミスは避けられないもん、しょうがないしょうがない」という開き直りにとれるかもしれない。でもwouldを使ったときトライすること自体に「仮にトライするとしたら」という留保が入るのと対照的に、willを使うことで「失敗し続ける未来」が確実になるならば、それは「トライし続ける未来」も確実に現実になるということを指す。失敗を繰り返すのは挑戦を繰り返すことの裏返しでもある。

この歌では失敗が次のスタートを切るきっかけになっていて、トライすれば失敗する→失敗があるから、それを反省してやり直すためにまたトライする→……というトライとミステイクの連続性が非常に意識されている。この二者の結びつきがとても密接で、失敗が必ずはじまりに繋がるので、"I'll keep on making those new mistakes"はほとんど"I'll keep on trying everything"と同義に聞こえてくる。この一節は「結果」としての失敗の正当化ではなく、「わたしたちは失敗する、ではどうするか」という「スタート地点」に立つための認識として機能していると思う。


ついでにもう一点興味深いと思うところ。それは"new" mistakesという箇所。"Try Everything"でいう失敗を重ねることは同じミスを何度も繰り返すこととは違う。トライしたことで生まれる失敗は常に「新しい」はず。たとえ失敗ばかりだとしても、それがまだ見ぬものであれば、少なくとも何かをアップデートすることは果たしたということだろう。「新しい失敗」こそきっと先に進んでいることを証明してくれるものに他ならない。




以上、とってもシンプルな歌詞をたった一行、たった一語にこだわって読む試みでした。こうやってネチネチと妄想に近い言葉の想像力を広げてものを考えるのはやはり楽しい。

*1:歌詞には"I wanna try even though I could fail"(失敗するかもしれないけれどトライしたい)という一節もあるが、これは「この試みが成功するか失敗するかは50/50だけど、それでもトライしたい」という意味でのcould。この歌でいう「トライし続ければ必ず失敗する」とうのは、個々の試みがうまくいくかどうかの話をしているのではなく、もっと全体的・長期的視野で見て、トライにはエラーがつきもので、挑戦し続ければどこかで必ず失敗するということを言っている。