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We need a new song/神話の語り直しとしての『モアナと伝説の海』

映画

いよいよ日本公開された『モアナと伝説の海』見てきました。


近年のディズニーは自分たちが作ってきた「プリンセス像」をアップデートし続けていて、今作もその系譜に連なる一作。ですが、わたしは今回ちょっと視点を変えて、プリンセスものとしてではなく、古代の神話を現代のフェミニズム的な視点から語り直すものとしてこの映画を見ていました。そんな話をちょこちょこ書きたいんですが、神話について専門的な知識がないので、ほとんど妄言だと思ってお付き合いくださればと思います。特にポリネシアの神話はまったく無知なので、詳しい方がいらっしゃればズバズバ指摘をいただきたいところです。(以下、内容・結末に触れます)

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公開前からずいぶん話題になったように、この映画ではポリネシア神話の半神半人の英雄マウイが、プリンセス・モアナと並ぶメインキャラクターに据えられている。彼はモアナに出会うと、過去の自分の超人的な活躍ぶり--神に与えられた魔法の釣り針の力で何にでも変身できたり、空が低すぎて人間が直立できないのを見かねて空を押し上げたり、あまりにも速く駆けていく太陽を捕まえ、ゆっくり行くように説得して昼を長くしたり、大鰻を退治して亡骸を地中に埋め、そこからポリネシアの大事な資源・食糧であるココナッツの木が育ったり--を突然歌い始める。

ここで描かれるマウイ*1のような英雄はわりとどんな神話・伝説にも共通して登場する。ギリシア神話の12の功業を達成するヘラクレスメデューサを殺したペルセウス、ゲルマン叙事詩ジークフリート、日本の神話であればヤマトタケルなど、魔法のような特別な能力や怪力の持ち主で、怪物退治など数多の難業を成し遂げる勇者は神話・叙事詩定番のキャラクターだ。

『モアナ』でおもしろいのは、マウイが過去の偉業に固執し、人々から崇拝される英雄というセルフイメージに強迫観念に近いこだわりを持っていること。その理由として、もともと彼は人間の両親に生まれた人間の子であったが、親に捨てられ、その後神に助けられて超人的な力を授けられたという生い立ちが中盤で明らかになる*2。彼が人間のために尽力してきたのは、かつて自分を捨てた人間に認められたい、感謝されたい一心ゆえであり、だからこそ彼は"ヒーロー"であることにこだわり続ける。まるで何者でもないように親に捨てられたマウイにとって、人間であった頃の自分は無力であり、魔法の釣り針を授けられ、半神半人になった自分にこそ価値がある。だから彼はしつこいほどにモアナに対してmortal(有限の者、人間)のお前に何ができると言うし、悪魔テカァの一撃を受け、釣り針が折れそうになると、自分を特別にしてくれる力を失うのを恐れて一度は退散してしまう。

このマウイによるmortality(人間の有限性、死すべきこと)の強調や親に対する複雑な感情にはギリシア神話的なものを感じる*3ギリシア神話といえば、mortalな人間とimmortal(不死)で圧倒的な力を有した神々との対比が特徴的で、古代ギリシアでは神々に近づこうと高みを目指すのが人間の崇高な使命と位置づけられていた。ここでいう人間は基本的に女性・子供を含まず成人男性のみを指していて、神話の英雄というのは「男子たるもの強く、勇敢たれ」という古代の男性の理想を体現したマスキュリニティの象徴のようなものだとわたしは解釈している。『モアナ』でも、すぐに訂正するものの、マウイははじめ自分を「男たちのヒーロー」と称する。しかし実際のところマウイはそうした自分のイメージ、英雄でいなければならないという呪縛に絡めとられ、自己イメージから乖離した現実の自分にぶつかり、尊厳を失いかけている。神話の男性中心主義は女性軽視であるだけでなく、男性にとってもプレッシャーが大きく息苦しいものではないか?


詩人キャロル・アン・ダフィはThe World's Wifeで男性によって語られてきた神話や伝説を女性の視点から語り直す試みをしているのだけれど、『モアナ』も似たようなことをやっているとわたしは思う。モアナは、自分は皆から愛されるヒーローだと言うマウイに対して、「あなたはもうヒーローじゃない、女神テフィティの心を盗んで災いを生んだ厄介者だ」と言ってのける。また彼女は、神の力がなければ自分は無価値な存在だと自信を喪失したマウイに対してこうも言う。「あなたを英雄にするのは他の誰かの力じゃない、あなた自身だ」と。

マウイはテカァとの戦いでモアナを手助けし、エンディングでは再び航海に出たモトゥヌイの民を導いている。けれども、彼がはじめに望んでいたような人々からの喝采や崇拝を受ける描写はない。それは、彼を英雄にするのはそうした喝采や崇拝によって迎えられる超人性や特別な能力ではなく、彼が実際にとったモアナを助けるという行動、そしてその証としてモアナから受け取った"Thank you."という一言だから。先述したマウイがモアナに出会ったときに歌う自慢話の歌のタイトルは"You're Welcome"。モアナを呆然とさせた、誰も感謝していないのに連呼する「どういたしまして」の意味が、彼の生い立ちが語られて明らかになったとき、わたしはとても切なくなった。彼が本当に望んでいたのは、誰かの役に立ち、感謝されること。でも誰もありがとうと言わないから、自分からどういたしましてと言ってしまう。モアナが「ありがとう」と言ったとき、マウイは救われ、本当の意味で英雄になったのだと思う。


こうやって、古典的な英雄像を解体し、かつての英雄を彼がはじめは侮っていた人間の女性(ギリシア神話や家父長制の文脈に添えば不完全で半人前の存在)との共闘によって救い、自己の尊厳を回復させることで、『モアナ』はマッチョな神話世界をフェミニスト的な視点から再構築しているのではないか。この映画で物語を先に進めようとするのはみんな女性だ。海に選ばれた、いや自ら海を選んだモアナは当然のこと、彼女を後押しする祖母、一度はモアナを引き止めながら、旅立ちを決断した彼女の手をとりそっと力を込めて送り出した母--この三代に渡る女性の動きがこの映画のキーになっている。序盤で歌われる"Where You Are"で旅することを忘れたモトゥヌイの人々は歌う。"Who needs a new song? / This old one's all we need"(新しい歌なんて誰が必要とするか?この昔からの歌で十分だ)

とんでもない、新しい歌はいつだって必要でしょう。新しい歌、新しい声、新しい物語こそ今ある世界を少しずつ動かしていく原動力に他ならないと『モアナ』は教えてくれている。






※追記
神話の英雄の解釈部分、自分で納得がいかなかったので少し書き換えました。推敲してから投稿しろよってな。

*1:あくまでこの映画で描かれるマウイに限定します。わたしはもともとの神話を読んだり聞いたりしたのではなく、ディズニーが解釈したものを見ただけなので。この点に留意することはすごく大切だと思う。

*2:この人間の両親に捨てられたという設定は少なくともポリネシア神話のポピュラーなものではないと思うんだけれど、映画オリジナルで考案されたものなんでしょうか。

*3:このギリシア神話っぽさがもともとのポリネシアの神話にも共通してあるものなのか、ディズニーの西洋文化の視点を通したことで付加されたものなのかは気になるところです。