読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Day 1: Missed a shot

A day in the life of a type 1 diabetic

朝起きて最初にすることは、実は血糖測定じゃない。わたしの場合は。

ベッドから出たらまずトイレに行き、手を洗って、うがいをする。血糖測定器を、病院から貸し出されたかわいげのない黒のポーチから取り出すのはそれからだ。ぱちっと指を刺し、ぷくりと玉の血を出す。赤いビーズのような球体がむだなく、まあるく浮き出たときは、我ながらまじまじ見入ってしまう。5秒のカウントダウン。入院している当時はこの5秒が世界で一番長い5秒だった。ぴぴっと電子音が鳴り、画面に表示された数値は180*1を超えた。高い。朝からこれくらいの数値が出てしまうことはある。でもそれはたいてい前夜に脂っこいもの、明らかにカロリーオーバーな料理をたらふく(発症以来、本当のたらふくなんて知らないけれど)食べたからだ。普段通りの食事をしていれば、平日朝は眠前の数値からマイナス20〜30が妥当で、昨夜の眠前血糖は150ほどだった。それなのに今朝は180。はてどうしたことだろうと前日新しくしたばかりのペットボトルの針入れを眺め、なんだか針の本数が少ないなと首をかしげて、わたしは昨夜トレシーバを打った記憶がまったくないことに思い至った。

基礎を打ち忘れたのに180とは、むしろ悪くない数値だ。前にも一度だけ打ち忘れたことがあったが、そのときは270を超えた。当時はまだランタスを使っていただろうか。ランタスは人によっては効果が24時間もたないと先生は言った。たしかにランタスを使っていた頃は眠前の数値がえらく高く、そのくせ朝は毎日低血糖を起こしていた。だからトレシーバに替えた。トレシーバの効き目は40時間を超えるという。もちろん次第に尻すぼみにはなるが、一日経っても効き目が残っているから今朝の血糖も200を超えずにすんでいるのだろう。それならばとりあえず様子を見ようとわたしは思い、トレシーバは打たずに、ノボラピットを少し多めにして朝食をとった。

持効型を打ち忘れたときにまず問題になるのは、どうやって崩れてしまった注射の周期を修正するかということだ。ふつう持効型は打つ時間が人によって決まっている。だいたい夜打ちか、朝打ちか、朝夜2回の分割打ちだろう。わたしは夜打ち派で、入院中からそのリズムに慣れ親しんでいた。朝、打ち忘れに気づいたらその時点ですぐトレシーバを打ち、その日から朝打ちに変えてしまうこともできる。けれどもわたしは今さらリズムを変えたくなかった。だから翌日も効き目が残るトレシーバの特徴を利用して、数日かけて注射の時間を後ろ倒しにしていき、周期をもとに戻すことにした。たとえば今日は昼間打ち、明日は夕方打ち、あさってには夜打ちに戻すというようなやり方だ。そうやって少しずつ打つ時間を遅らせていってもトレシーバなら血糖値にさほど影響は出ないはずだ。


いつも乗っている通勤電車は一日で最も混んでいて毎朝毎朝気が滅入るから、最近は一本早い電車に乗り、会社の近くのカフェでコーヒーを一杯飲むのを秘かな楽しみにしている。ミルクも砂糖も入れない。甘いものを飲むのは特別なときだけだ。お腹にたまらない液体のためにノボラピットを消費したくはない。せっかくだから血糖を図ろう。鞄から黒のポーチを取り出し、いつも通り5秒待つと、わたしの読みはちゃんと当たっていた。トレシーバの効果がまだ残っていて、朝打ったノボラピットがしっかり血糖も抑えてくれたから、数値は139まで落ち着いていたのだ。

素晴らしい、もう少し様子を見よう。わたしは気を持ち直して、モーニングを食べ、忙しい朝をコーヒーとトーストの香りで満たす人たちを羨ましく眺めた。会社近くのカフェでモーニングを食べるためには、少なくとも朝起きてから1時間半は何も食べない状態でいなければいけない。ふつうなら空腹を我慢し、電車内でお腹が鳴らないよう気をつける程度のことだろう。しかし1型の人間が朝から何も食べずに1時間も電車で立ちっぱなしでいたら間違いなく低血糖になる。満員電車内での低血糖など想像するだけで恐ろしい。もちろんこまめにビスケットなどを食べ、低血糖予防をしながらカフェまで行くこともできる。でもせっかくのモーニングの前に中途半端に食べ物を入れてお腹を膨らせたくない。いつかはどこかで美味しいモーニングを食べたいけれど、まだしばらくその夢は叶いそうにない。


昼前に測るとさすがにトレシーバも虫の息なのか、270を超える数値が出た。ここでようやくわたしはトレシーバのダイヤルを12単位回し、脇腹に刺した。いつもなら270もあればノボラピットは+2単位で打つところだけど、今日はトレシーバがどれくらい血糖を落とすのか読めなかったから、ノボラピットはいつも通りの単位計算で打った。でも、それでは不十分だったみたい。夜、9時近くに帰宅して測ると、まだ血糖は190台だった。


いつからか、わたしは一日に数回目にする2桁か3桁の数字に一喜一憂するのをやめた。(そもそも20近くも誤差があるものを信用なんてできるか?)そのかわり数字の積み重ねのなかに物語を読みとることを覚えた。そして数字を乗りこなし、物語を書き進めていくことも。良い時があれば、悪い時もある。悪い時が続いても、ふと良い時が訪れる。今日だけを切り取ったら、最悪の一日だ。平均血糖はおおよそ200。合併症を手招きして呼んでいるのかと先生に怒られるだろうか?でもわたしは今日のデータを分析し、明日はもっとうまくやれる自分を知っている。あさってには食前血糖が100以下に落ち着くことを知っている。しあさって、またすぐ200を超える血糖値を出してしまうことは、あまり想像していないけれど。一度の打ち忘れは流転する毎日の一コマでしかないことをわたしはよく知っているから、またそこからエンジンをかけ直し、物語を前に進める。仕切り直しに、夜もう一杯コーヒーを飲み、読んでいる本に集中し始めた。この書き手が人種や性や階級の問題を丹念に織り込みながら物語を編んでいくのと同じように、1型であることの意味を、その社会的な位置付けを、複雑で苛立たしい症状やたくさんの無理解や未来への不安や変わってしまった身体へのどうしようもない怒りを複層的に見据えながら、たしかにここに息づいている、本物だと思えるおはなしを語ることができたら、と想像してわたしは震える手でページをめくる。

*1:健常な人の場合、血糖は常に100前後で保たれている。1型糖尿病患者の血糖値はある意味天井知らずで、発症時に1000を超える人も少なくない。