人生を物語れ/『T2 トレインスポッティング』

「物語ること」についての物語はいろいろありますが、これもまたその一つであるとは見る前は想像していませんでした。
(以下、内容結末に触れています。)



90年代後半に一大ムーブメントとなった『トレインスポッティング』から20年、続編の『T2 トレインスポッティング』を見た。20年前アムステルダムに飛び、新しい生活を始めたレントンがオランダ人の妻と離婚することになり、スコットランド、リースの故郷に帰ってくることで再びあの4人の関係が動き出す。

レントンの人生もうまくいっていないが、リースに残された3人も相変わらず。スパッドはレントンに貰った4000ポンドをドラッグにつぎ込んで深刻な薬物中毒。かつてのシックボーイ、サイモンは伯母から継承したパブ経営のかたわらブルガリア移民の愛人ベロニカを使って揺すりをやっている。フランク=ベグビーに至っては20年の服役に処されたはずが悪知恵を使って脱獄してしまう。それぞれにそれぞれらしい20年を送っているが、4人とも共通しているのは20年前のあの時で彼らの時計が少なからず止まっていること。


実際に20年前の映像を使い、前作からの引用をふんだんに盛り込むなかで、当然このフレーズも登場する。

Choose life.

でも、前作では皮肉を込めながらも向こう見ずな若者の楽観主義を示してもいたこの言葉が20年後ではまるで違って聞こえる。

SNSを選べ。9.11はなかったことに。子どもたちにも自分と同じものを選べ。こんなこと起こらなかったからマシだったと自分に言い聞かせ、どこかの誰かがキッチンで精製した得体の知れないドラッグで痛みを揉み消せ。失敗から学ばないことを選べ。歴史が繰り返す様を眺めることを選べ。未来を選べ、ベロニカ。(途中省略あり)

46才のレントンにとっての人生は眼前に開かれた未来ではなく、振り返りため息をつく過去、悔いるべき選択や失敗、そして次世代やいずれ来る死への憂いである。人生は選べなかったし、これからも選べない。それを知ったレントンはもう前作のように自らが人生の語り手となることから降りている。でも、自分自身が自分自身の人生の、物語の語り手ではいられなくなっても人生は続く。「あと30年」をどうにか生きなくては。誰かが語らなくては。


そこで今回新たに登場する語り手がスパッドになるとは正直思っていなかった。劇中、レントンは薬物を断ちたいスパッドに"Be addicted to something else"(何か別のものに夢中になれ)とアドバイスする。その後、ベロニカに「あなたたちの話を書いたら?とてもおもしろいから」と言われたスパッドは昔の写真を部屋の壁中に貼りめぐらし、自分たちの過去を綴り始める。途中禁断症状に苛まれながらも、どうにか彼は物語を完成させる。それは過去に耽溺したり埋没したりするのでもなく、過去を完全にないものとして切り離すのでもなく、過去を見つめ直し物語として織り上げ、20年前で止まった時計をまた動かすことを可能にする。「あと30年」を生きさせてくれるのは、きっと物語の力だ。そしてまたスパッドが夢中になるべき「何か別のもの」とは物語ることだったんだとわかってわたしは泣いた。人生は選べなかった。それなら選べなかった人生を物語れ。



思えばスパッドは前作から目撃者で、語り手たる資質を持っていたんだと思う。今作でもまた彼は「裏切り」の目撃者になる(また今回は語り手として裏切りの達成に寄与する)。最後にみんなを出し抜くベロニカは前作のレントンに重ねられる。しかし無責任で、絶望しながらも楽天的で、とにかく「この生まれ育った街から出たい」一心だったレントンに対して、ベロニカは当時のレントンと恐らく同年代でありながら、もっと現実的で思慮深く、彼女はきっと手にした金をもって故郷に帰り身を固めるのだろうと思われる。そんなところに夢見ていられないテン年代の厳しさ、時代の移ろいを感じつつ、最後はやはりレントンと一緒に"Lust for Life"の爆音に身を委ねるほかないのであった。