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You can let them touch you, but never let them grab your pussy / Sarah Kay, 'The Type'


サラ・ケイ「ザ・タイプ」

Sarah Kay - "The Type" - YouTube

誰にでも場所が必要だ。
それは他の誰かの内にはない。
--リチャード・サイケン


あなたが、男性が見たくなるような女性に成長したら
彼らに見せてやったらいい。でも視線を手と間違えないで。

あるいは窓と。
鏡と間違えないで。

彼らに女性がどんなふうか見せてやったらいい。
一度も見たことがないのかもしれないから。

あなたが、男性が触れたくなるような女性に成長したら
彼らに触れさせてやったらいい。
彼らが手を伸ばしているのはあなたじゃないこともある。
時にそれはボトル。ドア。サンドイッチ。ピューリッツァー。他の女性。

でも彼らの手はまずあなたを見つけた。あなた自身を守護者と間違えないで。
あるいはミューズと。約束と。犠牲者と。スナックと間違えないで。

あなたは一人の女性。皮と骨。
血管と神経。髪と汗。
あなたはメタファーでできているんじゃない。謝罪でもない。言い訳でもない。

あなたが、男性が抱えたくなるような女性に成長したら
彼らに抱えさせてやったらいい。

一日中彼らは身体を真っ直ぐに保ち続けようと努めている。
この進化が未だにまったく不自然に感じられて筋肉を痛めても

その腕と背骨をしっかりと固めている。丸まってあなたのまわりにクエッションマークを描くのが
どんなかんじかを学ぼうとし、

今頃には出ているだろうと思った答えが
出ていないのを認められるのはほんの少しの男性だけ;

なかにはあなたを答えのように掲げたがる男性もいる。
あなたは答えじゃない。

あなたは問題じゃない。詩でもない。
落ちでもなぞなぞでも冗談でもない。

女性だ。あなたが、男性が愛したくなるタイプに成長したら
彼らに愛させてやったらいい。

愛されることは愛することと同じじゃない。
恋に落ちたとき、それは大海を見出す

何年も水溜まりにジャンプした後に。あなたには手があることに気づいていく。
それは群衆がみんな家に帰った後、綱を求めて手を伸ばす。

自分は男性から傷つけられるような女性かどうかなんて考えるのに
時間を使わないで。彼があなたにカーアラームのような心を負わせれば、あなたはそれに合わせて歌うようになる。

大海を愛するのを止めるのはたいへんなこと。たとえ喘ぎ、塩辛さを味わうことになった後も。
あなた自身を許してやって あなたが下した決断のために、あなたが未だに

間違いと呼ぶ決断のために 夜それを仕舞い込むとき。そしてこれを知っておいて:
あなたは、あなたのものと呼べる場所を探している女性だということを。

像は砕け散らせておけばいい。
あなたこそがずっとその場所だったんだ。

あなたはそれを自分自身で築くことができる女性。
築くためにあなたは生まれたんだ。


Poem from "The Type" | Huffington Post


世の男性にあなたがどんな女性か、どんな存在か、ありのままを見せてやったらいい。でもあなた自身を、あなたの心と身体を決して手離さないで。あなたはあなた自身のものだということを決して諦めないで。なんの気なしに良い詩だから訳そうと作業に取りかかり始めたらあんなことがあって、素敵な詩の翻訳という行為に別の意味づけをしなくちゃいけなくなったのは悲しい。でも、今このとき逃げ場となる詩があってくれたことに正直わたしは安堵してしまう。くだらないと思われるかもしれないけど、今日はあえてこう言わせてください。You can let them touch you, but never let them grab your pussy. You own your body, mind, and just yourself.




記事冒頭のサラ自身による前書きも一応訳しておきます。

近頃、たくさんのメディアの関心が「女性であること」の意味に払われていますが、しばしば議論は他者との関わりにおいて女性であることが何を意味するかにフォーカスされています(母として、妻として、姉妹として、恋人としてetc.の女性といったぐあいに)。これらの関係は重要だとわたしは信じています。またわたしはわたしたち自身を個人として、比較や関係性抜きに、単独で定義できると思っています。女性は他者から定義される必要はありません。わたしたちには自分たち自身を定義する力があります:わたしたち自身の物語を、わたしたち自身のことばで、声で伝えることによって。