Day 2: Grandma's favourite bread

おばあちゃんのわたしを見る目は、あの日から決定的に変わってしまった。それまでのおばあちゃんの眼差しがどんなかだったは正直よく覚えていないけれど。電車で二駅のところに住んでいるのに、最近では年に2回くらいしかおばあちゃんに会いに行っていなかった。だから生ぬるい空気のこもった狭い4人部屋に小さな二つの車輪を転がしておばあちゃんが入ってきたとき、その小ささにわたしはぎょっとした。おじいちゃん譲りで背の高いわたしに対して、おばあちゃんはもともととても小柄な人だけれど、今や彼女はわたしの半分くらいしかないように思えた。細い腕が丸まった背中から手押しの買い物カートへと伸び、まるでおばあちゃんとカートが一つになって、おばあちゃん自身に車輪がついているようだった。退院後、仕事を始めるまでの2ヶ月間、わたしが毎週のようにおばあちゃんちに通うようにしたのは、残された時間がそう多くはないことをここで痛感したからでもある。


せっかく来てくれても、おやつは食べられないんでしょう?とおばあちゃんは心底悲しそうに言った。いや、食べられるけど、自分が決めたときに自分が決めたものを食べるようにしてるだけ、とわたしは答えた。毎週わたしたちはこのやり取りを繰り返した。わたしはもう飽き飽きしていた。1型糖尿病は甘いものが、おやつが食べられないという誤解に。同じくらい1型糖尿病は何でも食べられるという無思慮にも苛立っていたけれど。

おばあちゃんはわたしの生活が他の同年代の子たちに比べて制限されることを哀れんでいた。毎日何度も自分の指に穴を開け、脇腹に注射することを可哀想だと思っていた。彼女は指に針を刺す仕草を真似て、退院してもこんなことを毎日やらなきゃいけないの?と聞いた。こんなこと。どうやら彼女にとっては注射よりも、人目に晒される指先に傷ができることのほうが重要なようだった(実際には傷跡なんてほとんど残らないのに)。わたしはこんなことを毎日、何回も繰り返して、やっと生きている。治る見込みはないの?ある日突然治ったりしないかね。ため息とともに唐突にこんな言葉が吐き出されるときもある。知るかよ。心のなかでつぶやいて、わたしはお茶をすする。

こんなことが毎週続いたから、わたしはだんだんおばあちゃんちに行くのが辛くなった。また何か病気について見当違いなことを言われるだろう、何気ない一言に傷つけられるだろう。そう思うと足どりが重くなった。ある日おばあちゃんは生協のカタログを眺めながらどんな食べものがカロリーが低くヘルシーかを考えているわたしに言った。フランスパンはいいよ。油を使っていないから。残念だけどクロワッサンはもう食べちゃいけないね。

どうしてあなたがわたしが食べるべきもの、食べてはいけないものを決めるの?わたしはもう毎週おばあちゃんちに行くのをやめた。そろそろ仕事も始まり、平日は忙しくなる。この日の帰り道、わたしはお団子を買った。たった一本で炭水化物30gも40gもある悪魔の食べ物。あまりにもささやかすぎて、泣きたくなるような悪魔との契約。


お盆休み、半年ぶりにおばあちゃんちに行くのをわたしは怖がっていた。またこんなことを、あんなことを言われるだろうと身構えていても、彼女はいつも違う方向からわたしに理解のない言葉を、突拍子もない誤解や過度な心配、わたしの身体への干渉を投げてきた。だから彼女が突然最近パンが好きなんでしょう?と聞いてきて、わたしはまた脂っこいパンは食べるなと忠告されるのだろうと警戒した。たしかに退院してからわたしは無性にパンが好きになっていた。

普段どんなパンを食べてるの?いろんなパンが好きだけど、扱いやすいし奥が深いから食パンが多いよ、とわたしは答えた。食パンなら脂っこいとは思わないだろう。もしかしたらバターは塗るなとか言われるかもしれないけど。でも実際におばあちゃんから返ってきたのは、四角い食パンと頭の丸い食パンならどっちが好き?という質問だった。わたしは角食か山食なら、もっちりとしたきめ細かな角食が好きだ。おばあちゃんは丸いほうがいいねえ、四角いのよりふんわりしているから。たしかにおばあちゃんの言うこともわかる。型に蓋をせずに焼く山食は角食と違って自由に窯伸びし、中にたくさんの空気を含む。わたしはおばあちゃんに角食と山食の違いを教え、今はいろんなタイプの食パンが出回っているよと話した。

するとおばあちゃんは、もう何十年も前に銀座三越で買った山食パンについて教えてくれた。それがとてもふわふわで、今でもおじいちゃんとあの食パンは美味しかったと思い返すことも。わたしはおばあちゃんと食べものについて肯定的な話ができるとは思っていなかった。何が健康にいいか、血糖値を上げないかではなく、どんな味なのか、食感なのかを話す日がまたくるとは思っていなかった。わたしが1型について学び、格闘していた半年の間、おばあちゃんもまた1型を理解しようと格闘していたことをわたしは想像しなかったのだ。そういえば今日彼女はまだこんなことの話をしてきていなかった。


わたしは銀座三越のパン屋の名前を訊ねた。覚えていないと返ってくるのはわかっていた。それでも調べればパン屋は特定できるかもしれない。もしかするとそのパン屋はまだ存在するかもしれない。でもわたしはわざわざそのパン屋を追って、おばあちゃんに山食を買っていってあげる必要はないと思った。それはわたしが怠惰だからだろうか。そうかもしれないけれど、それだけじゃない。わたしは角食派だけれど、美味しい山食も探そうと決めた。それをおばあちゃんに食べてもらって、彼女の美味しい山食の記憶を更新したい。わたしが今どんなものを食べ、何を美味しいと感じるか知ってもらいたい。