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地獄の鳥の詩/『ハミングバード』とWilliam Blake, 'London'

映画 文学

大学3年くらいまではジェイソン・ステイサムの出演作とあらば何でも映画館まで見に行っていた。それが進路関係で忙しくなってから精神的にも物理的にも映画を見る余裕がなくなり、習慣になっていたイサム追っかけもできなくなっていた。そんなわけで、ステイサム出演作の中でも評判のいい『ハミングバード』も長らくスルー状態だったのだけど、ようやく余裕ができてきたから見てみることにした。

じっとりと艶っぽいネオンが色っぽくて哀しい、良イサム・ノワール。『SAFE』なんかでもステイサムの涙を見せて哀感を漂わせていたけれど、今作ほど彼の鋼のような肉体にずっしりと引きずるような倦怠を帯びた重たさを付加できた映画はないんではないかと思う。

また個人的には、なぜかウィリアム・ブレイク(William Blake)の代表作「ロンドン」('London')という詩を思い出させる映画でもあった。

ウィリアム・ブレイク「ロンドン」

支配された通りをさまよい歩く、
支配されたテムズ川が流れる近くだ。
私が出会うすべての顔に
弱さの印、悲痛の印が見てとれる。

すべての人のすべての叫びに
すべての乳呑み子の恐怖の叫びに
すべての声に、すべての禁令に
私は心が作った足枷(の音)を聞く。

煙突掃除の子どもの叫びは
黒ずんだ教会を恐れ慄かせ、
不運な兵士の溜息は
血となって宮殿の壁を伝う。

しかしたいてい夜の通りで聞こえるのは
若い娼婦の呪いが
新生児の涙を吹き飛ばし
結婚の霊柩車を疫病で枯れさせる様なのだ。

(拙訳)
http://genius.com/William-blake-london-annotated *1

産業革命が起こり、急速に近代化が進む18世紀末のロンドンを、ブレイクは下層の人々の悲痛な叫び声=心理的な枷("The mind-forged manacles")の金切り声のような音がこだまする闇の街としてゴシック的に描き出す。人・もの・疫病が氾濫し、特権的階層と下層とのギャップが顕になったこの近代的なロンドン像は、『ハミングバード』における強きが弱きを虐げる堕落したコスモポリタン・シティとしての現代ロンドンにつながっているように思える。また『ハミングバード』では下層から上層への一撃が描かれているけれど、「ロンドン」でも下層の人々(煙突掃除の子どもや兵士)の叫びや嘆きが教会・宮殿といった権威に脅威を与えているし、加えてそれが特権階級にカウンターパンチを喰らわすカタルシスにはまるでならず、血を流す痛みばかりが伝わってくるという点でも両者は相通じている。

ブレイクはseerとかvisionaryなどと呼ばれていて、普通では見えないものが見えてしまう(人はそれを幻覚とか幻想と言うが)人物だったという。「ロンドン」も通りをさまよい歩く詩人が人々の表情や声、禁令といった街に溢れるものごとに痛みや苦しみを見/聞きとり、そこからイメージが連鎖して、果ては疫病が結婚を死と結びつけ、赤ん坊の命を枯らしてしまうところまで見透かしてしまうという構成で、街をスケッチする写実性よりもイメージが連なって深部まで透視していく幻想性が特徴的だ。*2ハミングバード』にも、そんな「見てしまった」の幻想性を感じさせる画があった。それは"密輸"された人々が詰め込まれたトラックの闇の中で光る数多の手首--恐ろしくも美しいような、ゴシック的なイメージで、わたしがこの映画を見て「ロンドン」を想起したのは、これがあったからだと思う。



なんだか特に結論もなく、きちんとした根拠はない主観的な連想ゲームのような見方で『ハミングバード』の感想(ですらないか)をだらだらと書いてしまいそうなので、ここで閉じることにする。ステイサム演じるジョゼフはアフガン従軍時にある罪を犯したために、ハミングバード無人偵察機)の幻影に苛まれるのだが、そんな地獄の鳥の姿が見えてしまう彼もある意味seerなのではないかと思うし、であれば彼に(地獄から逃れようともがく罪人であると同時に)天使の役割が与えられているのも合点がいくのである。

*1:1,2行目 "charter'd"についてはgeniusの解説を参照されたし。ここでは特権を与えられた権威によって管理された不自由なロンドンが表されているため、「支配された」というやや強気な訳出を行った。また輸送・貿易の中心地となり、人も物も疫病も溢れた猥雑な街の様もブレイクは示唆しているらしい。

*2:第3連3行目まで苦しみを「聞く」という聴覚情報を扱っていたのに、4行目で兵士の溜息が宮殿の壁を血となって伝うという視覚的(しかもなかなかにショッキングな)情報へと軽々とスイッチする感覚の超越性とイメージの広がり方がすごい