This is how I enjoy my life


ただただ最近好きなものを紹介する記事です。


・パン

1型糖尿病を発症して元旦から入院していた間、ご飯はすべて米飯と味気のないおかずの、いわゆる病院食でした。その反動からか退院してからとにかくパンが食べたくて、最近は3食パンも当たり前、日々おいしいパンを求めて彷徨い歩いています。昔はパンといえば菓子パンやヴィエノワズリーをおやつに食べるのが普通でしたが、最近はもっぱらフランスパンなどのハード系、リーン系にはまっています。

その理由は二つあって、一つは病気のおかげで以前のように甘いもの、高カロリーのものをばんばん食べられなくなったので、砂糖や油脂が使われていないリーンでヘルシーなパンに着目するようになったということ。これはとても現実的な理由で特におもしろみもないんですが、もう一つの理由、こっちは重要です。それは、あるパン好きさんのブログを読んでいて、パンを語る語彙の豊かさに感銘を受けたこと。クラスト、クラム、クープ、高加水、リッチ、リーンetc. 初めて聞くパン用語たちは見た目だけでも美味しそうなパンをさらに美味しそうに、魅力的にしていました。パンの世界の奥深さを垣間見て、わたしももっとパンを知って自分の言葉で語れるようになりたいと反射的に思ったのです。

結局のところ、わたしは何かを受け取るとき、それを「語る」という行為から逃れられないのだなあと日々美味しいパンを食べながら思います。最近はもっぱら美しいパンを愛で、それを語る語彙を増やすのが趣味です。また、どれだけたくさんパンを食べても自分で作りたいとは思わないところに、自分は根っからの身勝手な批評家気質だと痛感します。でもそういうスタンスからでなければ言えないこともあるだろうし、外からものを眺める者であり続ける以上、語る対象への誠実さと正直さだけは常に意識しなくちゃいけないと思います。……パンを起点にこういうことを書き連ねてしまう自分でたいがいどうかしてると思うけど、まあそういうスタンスでないと……以下同文。

ちなみに上の写真は地元のとっても素敵なパン屋さんのカンパーニュとフィグのパン。美しくないですか?食感は外パリパリ中もっちりでお味も素晴らしいのです。

あと最近はリーン系パンの中でもベーグルにはまっています。そのままでよし、焼いてよし、サンドにしてよし。一つでご飯一杯と同等のカロリーなのでカロリー計算しやすくてありがたいです。


・アンディ・ウィアー『火星の人』(Andy Weir, The Martian)

火星の人 (ハヤカワ文庫SF)

火星の人 (ハヤカワ文庫SF)

パンに時間を割きすぎたから、ほかはサクサクいきます。入院中に友人から借りて読んだのですが、このタイミングで出会えて本当によかったと思います。突然「1型糖尿病です、一生インスリンが必要です」と言われても悲観せず前向きに受け取れたのは、この本があったからだと言ってもいいかもしれない。人間のちっぽけな"身体"一つでは到底太刀打ちできない、火星という過酷な環境ーーだったら"頭"を使えばいいじゃない、と知性をフル稼働して目の前の課題に着実に取り組んでいく主人公の軽やかな姿勢に勇気づけられたことは言うまでもありません。

映画版の『オデッセイ』ももちろん見に行きましたが、原作が好きすぎて正直あまり受け入れられませんでした。非常にハリウッドらしい、合理的で効率的な"共感"を生むアレンジがなされていて、うまいなーと思うと同時に、「みんな」の物語になってしまったことで、わたしと原作の間にあったような共犯関係を映画との間に築くことはできませんでした。まあたぶん原作に入れ込みすぎたのだと思いますが、個人の的確なアクションを個人の的確な、そしてユーモラスな言葉で書き綴っていくという地に足の着いたかんじが好きだったから、ちょっと映画は大きな物語になりすぎているかなと感じました。


デヴィッド・ボウイ「スターマン」(David Bowie, "Starman")
http://youtube.com/watch?v=a2uq_rTNBmU
とかなんとか言いつつ、『オデッセイ』のこの曲が流れるシーンは本当に大好きで、ボウイの歌声が耳に飛び込んできた瞬間もう涙ボロボロだったんですけどね。去年一番よく聞いていて勇気づけられた曲が「ロックンロールの自殺者」だったし、年明けには悲しすぎる訃報があったしで、あのシーンはもう冷静には見ていられなかった。うろ覚えで申し訳ないんですが、昔ボウイが「音楽は人生の問題を解決はしてくれないけれど、人と繋がるきっかけを与え、ともに問題に向き合う手助けをしてくれる」というようなことを言っていて、もう彼には全幅の信頼を寄せずにいられないなと思いました。


綿矢りさ

憤死 (河出文庫)

憤死 (河出文庫)

高校生のとき、主人公の「外界に対してはものすごく鋭敏な感覚を持っているのに、自分のことはまるで見えていない」かんじに「あんたはわたしか」と悶えながら読んだ『蹴りたい背中』をはじめとして、綿矢さんの作品はすべてではないものの、それなりに追っています。このところまた集中的に読み込みはじめ、近年彼女がやっている語りの実験がなかなかおもしろいなあと思っています。短編集『憤死』では、書き手と「私」の混濁を誘い、読者の喉元をぐっと掴みにかかってくるようなホラー掌編「おとな」や、聞き手/読み手の絶対的優位性(話を聞いてやっている方が話す方より優位だという主従のイメージ)をぐらつかせ、語り手/書き手との共犯関係を再考させるこれまたホラー風味の「トイレの懺悔室」といった意欲作を書いているし、一昨年『新潮』に載った「こたつのUFO」では様々なレベルの「私」を混在させることで虚実入り混じった私小説ともエッセイともつかないようなジャンル=綿矢りさ的な文章を確立した感があって、今後もまた楽しみです。最後に残るのは「真実」としての「おはなし」だけだと冒頭で宣言する「こたつのUFO」のラスト、最後に示される真実にはとても勇気づけられます。


・『ブロードチャーチ〜殺意の街〜』(Broadchurch)

普段はまったく海外ドラマを見ないのですが、これはあるスコッツの知り合いに勧められて見ました。本国イギリスで驚異の高視聴率を叩き出し、海外ドラマファンの方にはよく知られた作品だと思うので、今さら特に語ることもないのですが、おもしろいですよ。演技と撮影がまず素晴らしい。一話ごとに異なるキャラクターがフォーカスされており、どのキャラクターを演じる役者も真摯で丁寧な演技です。

ブロードチャーチというのどかな海辺の田舎町で起きた少年の殺害事件を男女二人の刑事が追うという物語なのですが、第1話の冒頭、ノーカット長回しで撮られる被害少年の父親の出勤風景を通して、住民のほぼ全員が顔見知りという街の小ささを説明する手際のよさにまず引き込まれます。そんな、噂話は一日で街中に広まってしまう田舎の田舎らしさが生む閉塞感や孤独感も当然作品の中では描かれるのですが、物語の核にあるテーマは「愛というおかしなもののために我々は何をしでかしてしまうのか」という至極普遍的なものだと思います。脚本家自身がこのプロジェクト(本作はトリロジーの第1作として制作されたものです)をa labour of loveと評している通り、愛というのはとんでもない骨折りで、そもそも愛は主観からどうしたって逃れることができない、客観的な「真実」など持ち得ないものなのだということが、一話ごとに、素晴らしい役者たちの力強い主観的な語り(自分について語る場面が本作は非常に多いです)によって紐解かれていきます。平凡で平和に見えた田舎の風景から逸脱していく、あるいはその平凡な風景に隠してしまいたい人間の歪な感情こそがドラマを織り成していくんですね。正直結末を含めてテーマそのものについてはいろいろ言いたいこともあるんですが、まずは見てみて損は絶対ないなと思う作品です。シーズン2はもう日本でも放送が終わっているので、早くそちらも見たい。


・ナーズ ザ・マルティプル1526 (Nars, the Multiple Nā Pali Coast)

サクサクいくと言って、まったくサクサクしていないから、これは本当に簡単に。

2年くらい前からコスメ好きになり、ちまちまと集めているのですが、退院後に買ったお気に入りがこちらです。もうずいぶん前に発売され、すっかりナーズの定番商品だと思いますが、やっぱりいいですね。ブラウン系の赤なのですが、若々しくフレッシュに見えるのに洗練された大人っぽさも演出してくれる素晴らしいフェイスカラースティック。アイ、チーク、リップすべてに使えて、軽く叩き込むと高発色、ぼかすように塗ると肌に溶け込んで綺麗な陰影を生んでくれます。最近メイクは艶と立体感が命なので、こういう一本で華やかに立体的な艶を出して垢抜けた印象にしてくれるアイテムは重宝します。


・英語

これは最近のお気に入りではなく、もはやライフワークのようなもので、わたしは「生涯の英語学習者」でありたいなと思っています。昨年進路について悩み、自分が何をしたいのかを突き詰めて考えたのですが、その中でやはり英語だけは何があっても続けていきたいと気づきました。わたしは10才頃から英語の独学を始めました。サボっていた時期もありますが、なんだかんだ10年以上も継続的に学べているものは英語以外にありません。

なぜそれほど英語に惹かれるのか、本当のところはわかりませんが、一つの理由として英語はわたしにとって常に「新しい言葉」であるということがあるのかなと思います。英語は世界中で使われ、ありとあらゆる文化を吸収して日々変化し、新しい表現を生み出す活発な生き物のような言語です。だから英語学習に終わりはない。どれだけ流暢に話せるようになっても、アップデートを怠れば錆びついてしまいます。常に新しい世界の間口になってくれる英語はある意味母語である日本語以上にわたしと世界との接点をたくさん作ってくれます。今の目標は語彙、特に糖尿病関連の言葉や表現を豊かにして、英語で病気について語れるようになることと、「自分の言葉」を英語で獲得することです。ただコミュニケーションに問題のないレベルまで英語力を上げるのではなく、ユーモアであったり自分独自の感性であったりを英語で表現できるようになりたい、要するに英語でおもしろいことを言えるようになりたいというのが、目下最大の目標ですね。



以上が今わたしが大切にしているものたちです。映画は大ヒットがなく、音楽はあまり聞けていませんが、他の分野でいろいろおもしろいものを見つけられているからいいかな。長年のモラトリアム期間が終わり、大きく環境が変化しているのですが、好きなものを楽しむために生きる、そして語るということは忘れずに、できる限り軽やかに生きたいものです。