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たしかなロマンス

最近Arctic Monkeysのファーストを聴き返していて、やっぱりアレックス・ターナーの詩世界ってすごいなあと改めて感じ入っている、だこたです。そんなわけで今回は音楽タグに加えて文学タグもつけて、ファーストの最終曲A Certain Romanceの歌詞を和訳してみたいと思います。

元の詞はこちらから。

彼らはクラシックなリーボックを履いてるかもしれない
それかボロボロのコンバース
トラックスーツの裾を靴下にしまってるかもしれない
でも問題はそこじゃないんだ
問題はそこにはまったくロマンスがないってこと

彼らには見えない真実がある
あいつらはたぶん僕にパンチを喰らわせたいだろう
君も彼らを見たら、同意してくれるはずさ
そこにはまったくロマンスがないってことに

そうなんだ、おかしな話なんだ
彼らに話してやりなよ、君がそうしたいなら、一晩中話してやりなよ
でも奴らは聞く耳を持たないよ
だって奴らの頭は凝り固まってるから
もちろんそんな風にやってくれて全然構わないんだけど

そこら中壊れてしまってるんだ
音楽は新しい着信音にするためだけのものだし
シャーロック・ホームズじゃなくたって
このへんが少しおかしいことはわかるだろ

誤解しないで、バンドを組む奴らもいるし
ビリヤードのキューで争ってる奴らもいる
あいつ、酒を飲んだからって
バカみたいに振る舞ってもいいと思ってるんだ

そうなんだ、おかしな話なんだ
彼らに話してやりなよ、君がそうしたいなら、一晩中話してやりなよ
でも奴らは聞く耳を持たないよ
だって奴らの頭は凝り固まってるから
もちろんそんな風にやってくれて全然構わないんだけど

でも僕は、嫌だって言ったんだ!
君も僕を行かせないだろ
どこにも、どこにもね
ああ、行かないよ!
嫌なんだ!

でもあそこには僕の友達もいるんだ
何て言ったらいいんだ、僕は彼らをよく知ってるんだよ
彼らは一線を越えちゃったのさ
でも同じように怒ることはできないよ
同じように怒っちゃダメなんだ
同じようにはね

冒頭のリーボックとかコンバースが何を意味するかはこちらのrap geniusの解説を参照。ここの解説によると、こういった格好をしているイギリスの若者をchavというのだそうな。chav。日本でいうところのヤンキーとかDQN(蔑称ですが、ごめんなさい)にあたるのでしょうか。実際にはもっとソーシャルな意味で使われる言葉で、イギリス特有の階級や人種の入り組んだ構造から生まれたイギリス特有の若者集団を指すものだとわたしは認識しているのですが、rap geniusがここで用いているchavというのは、それこそヤンキーのような、地元連中でつるんで酒飲んで暴れてという柄の悪い少年たちのことを指していると思われます。

つまり、この詞って、幼い頃から知っていた友人たちが靴下にトラックスーツをインしてみんなが似たような靴を履いて野暮ったい格好をして、音楽も大切にせず(着メロとして消費される音楽が当たり前に存在するようになっているのがこの時代(2006年)らしいです)、酒を飲んでは傍若無人に振る舞うダッサイ奴らになっちゃったなーと遠くから観察してふっとため息をもらしている、そんな捻くれた内容なのです。「俺はそんな奴らと同じにはなりたくない」というアレックスの頑なさは、曲の後半におけるnoやnotなどの否定語の力強い繰り返しに見てとれ、若さが書かせた詞だなあと改めて思います。「こんなふうにはなりたくない」のこだわりは成長あるいは老化とともにどんどんと減退していくものなので。

こんなふうに、教室の片隅であんな風にはなりたくない、なんてダサい奴らだろうと思う気持ちを抱える人は多いでしょう。かく言うわたしもそういった人間の一人であったし、洋楽の、それもオルタナやインディー系を聴く人間なんてたいがいがそんなかんじではないでしょうか。そんな捻くれたガキンチョたちの思いを代弁しつつ、アレックスを稀有な詩人たらしめているのは、やはり成長とともにダサい連中になっていく友人たちを見つめて「そこにはロマンスがない」と言い切ってしまえる、彼のロマンティストぶりではないかなと思います。タイトルにあるcertainという形容詞はニュアンスの取りづらい語で、訳すとすれば「ある」とか「確かな」というふうになるのですが、それが具体的にどういったものなのかは確証を持って言い切れないというような意味がどこかに含まれている気がします。アレックスもそこにどんなロマンスがあればいいのか、彼が求めるロマンスが何なのかは言い切ることができないのでしょう。ただ彼が確実に言えるのは、そこにはロマンスがないということだけなのです。